
Vivitar Ultra Wide&Slim
Lomography XPRO CHROME 100(クロスプロセス)
旅写真、とある山頂付近の丘にて。
過去の僕のを少し拝借。
今の僕ならどう座って写るのだろうか。
風呂上りの髪の毛を乾かしながら、
短かった高校時代のあることを思い出していた。
「人生とは何か、例えるなら何だろうか」
哲学か倫理の授業だったと思うけど、
いきなり出されたお題についてクラスの全員が発表させられた。
そのときは「その答えを探すため」なんて粋がったことを答えたと思うんだけど、
それじゃ今なら分かるのかな?なんて考え出したら頭をぐるぐる。
髪が乾いた頃にその答えとしてまとまったのは、
「台所の閉まりの悪い蛇口と下に置かれた鍋」。
家の台所の蛇口は閉まりが悪くて、
常に水滴がこぼれてるものだから洗い物の鍋とか大皿を下に置いてるんだけど、
この風景が一番最初にパッと浮かんだ。
「人生は何事もない平凡なことが幸せ」という俗説がある。
ある意味では真実だと思うけど、
やっぱり人は何かしらの「変化」を求めているのだと僕は思っている。
「出来なかったことが出来るようになった」
「ずっと欲しかったものを手に入れた」
「彼女ができた、結婚した、子供ができた」 etc
何事もない平凡というのは、
そういった変化の合間に得られる一種の休息だと僕は思う。
変化というのは上記のようなものばかりでなく悪い方向のものもあるけれど、
人はそういった変化なしに生きてはいけない。
閑話休題、人はこの世に生を受けて絶えず鍋に水滴を注がれ続ける。
鍋がいっぱいになるまで見つめていられる人は極々わずか。
たまった水の量に変化を見つけられる人だってそんなに居ないだろう。
それでも水滴は絶えず注がれ続ける。
端から見れば、何の変化もないつまらない風景。
でもそこに見つける変化こそ、人生の楽しみなのではないだろうか。
溜まった水の量が気付かない間に増えてる。
それに気付いて、過去の感傷に浸る人もいる。
過去と比較して成長を実感する人もいる。あるいは焦る人もいる。
落ちる水滴の波紋の形、大きさ、速さが微妙に違うような気がする。
受け皿ごとに独特な音の響きがある。
水滴に映る景色に目を奪われる。
こんな風景を、今の僕は頭の中で思い浮かべた。
何か最近そういった流れが早くなっている気がして、
ちょっとそんなこと考えながらキーボード叩いてました。